『ありがとうがしりたくて』のこと
April 03,2025
あ!前の内容から続きです。
書影が載せてなかったー!
ここに。韓国版と台湾版。
ちゃんと題字もキラキラさせていただきました。
金色なんです。綺麗でしょう。
ARIGATO!
外国で新たに生まれてくれたこの子たちそれぞれを
今、眺められているのは、私は心から感慨深い想いです。
本当の本当にそう思うんです。
少しだけ『ありがとうがしりたくて』の
ここまでのお話をここにしてもいいでしょうかね。(ちょっと長くなるお)
この本が生まれたのは、2011年。
本は、印刷されて出荷され書店さんのバックヤードに
入ってから、店頭に出されます。出版社から聞いていた
スケジュールは地域差があったとしても
基本全国の書店バックヤードに配布完了が3月10日。
(奥付けに記載の初版発行日というのは、出版社によって
刊行の月末日とか記載の決まりは各社それぞれで、
実際の本の発売日とは、微妙に違うのです)
当時の編集者さんから、明日発売です!
本屋さんの店頭に並びますよ!と言われていた。
その日が、2011年3月11日でした。
当時、息子が小学校生、娘が幼稚園児でした。
娘をお迎えがてら帰りに本屋さんに寄ってこよう!と思っていました。
娘に、「これママの本だよ〜」って言えるかな〜とか
そんなことを思いつつ。
そろそろお迎えに家を出る支度をしなければと思った時です。
大きく、足元が、家が、
空が、大地が揺れました。
東日本大震災が起こりました。
パニックでした。
津波や余震、続く福島原発の件、通信も
交通もライフライン全て、人々の気持ちも何もかも。
日本中がパニックとなった日。
そんな、3月11日がこの絵本の発売日でした。
『ありがとうがしりたくて』
この絵本の日本の題名です。当時私がこの絵本のことに関して
真っ先に思ったのは、
こんなにも今の日本の現状と
たくさんの人の気持ちの想いにそぐわない題名の
絵本を、なんてタイミングで世の中に放つことに
なってしまったのかと。何かとんでもない
場違いなことをしてしまったかのような想いに苛まれました。
被害が甚大であった地域や
人々の想いを考えると、この日に発信することに
なってしまったことが、 当時はいたたまれず消化もできず
長く私の中に痛みとして在りました。
もちろん、私がこの日を、この時期にこの内容で出すを
あらかじめ想定なんてできるはずもなかったわけで。
その考えは過剰と、今は思えるのですけれど。
ただ、あまりのタイミングに。
ありえないタイミングに。
そのタイミングとは、多くの人が「ありがとう」と思えない
壊滅的なタイミングで、大事に温めていた絵本の
『ありがとうがしりたくて』という題名を放つ日になったこと。
そのタイミングに、ごめんなさいって思っていた。
誰に……って、そうですね。おそらくあらゆる方面に。
なにしろ、絵本のこともそうですが、とにかくパニックだったのです。
目の前に映し出される光景と渦巻くたくさんの想いにパニック。
子供達のお迎えに家族の居場所。色々なこと。
ここで補足ですが。
もちろん、冷静に考えられる少し後になってからは、
ライフラインがガタガタになってしまう前に、全国の
本屋さんに納められていたこと、
1日でも何かが滞って遅れていたら、そうはならなかったこと、
1ヶ月遅れていたら紙の資材が調達できず
発売すらどうなったか分からなかったこと、
ここに奇跡的なタイミングであったのだなと理解できました。
話戻しまして‥‥
その後はといえば、絵本も私も沈黙の時間が流れました。
発売に予定されていた広告やフェア、全て流れて
もちろん世間はそういう風潮でも、それどころでもありませんでしたし
東北地方は出版業界の紙の企業においても大きな打撃を受けました。
『ありがとうがしりたくて』の発売なんてなかったように。
それこそこの絵本自体が、生まれなかったように。
でも、それでよかった、
大変な思いをした人の目に届かなくてよかった、
どこかで私はほっとしていたような
ところがありました。
東日本大震災、色々なものが壊れた。
築いてきたものが壊れていく様に呆然としてなんというか、
私も、ただただ、今目の前にあることをしっかりと
捉えていなきゃってそれだけでした。
だけど、そのパニックの中、『ありがとう』って
言葉をどこでどんな風に発したか、その全ての記憶で覚えていなくとも。
だけど私は、不思議ですが、この時期に人生の中で非常にたくさんの
『ありがとう』を口にしたのを、体感で覚えています。
なぜなら、『ありがとうがしりたくて』という
題名に特別な思いを背負ってしまっていたゆえに。
ありがとう、と自分がいう度に、この音を聞く度に、
物語の最後の結論を確認するかのように
胸の奥が反応していたから。
そうだよね、やっぱりそう、って。
確信を重ねたというか。
は……!
まあ……。私の方は置いといて……。
そんなわけで当時の時代背景もあり、
当初の出版社さんは在庫を
いっぱいかけてしまったのではないかな。
想定通り、動きませんし、
絶版になりかけます。(ピンクのカバー版)
そしてひょんなことから救われて(白いカバー版)
そしてまた、また今度は完全に実は絶版になっていた(笑。
そしてまたひょんなことから救われて今ここ。
3度!生まれ変わった姿が今の(黄色カバー版)
『ありがとうがしりたくて』(光文社)です。
「救われて」というところが、ミソだなあと振り返ると思います。
奇しくも、この「本自体」が、ここまで
たくさんの『ありがとう』を知っていく旅をしてきたわけなのです。
そうなんですよ。
題名通りなんですね。(笑
『ありがとうがしりたくて』
あんなにも忌み嫌った時間もありましたが(自分でつけたのにw)
今はこの題名に、妙に納得なんです。
はたと、全て腑に落ちたというか。
要するに。2011年3月11日の発売日は、
「ありがとうがしりたくて」という題名のとおり、
この絵本にとっての「ありがとうをしっていく旅」の出発点、
始まりの日だったわけです。
今、私はそう理解しております。
その後、この本はね、著者の私が止まったままでも、知らぬところでの
「え」っていう奇跡的な繋がりやご縁を育み、「ええ」っていう絶対的な流れとか
とにかく私が「えええ」って言ってるうちに、本が「ええええ」と
救われて命を繋いで、ピンク→白→黄色(おまけに金泊文字!)と
華麗に衣をお召し返していった‥‥(笑。
そんなわけで、私は。(まとめです長々と失礼しました)
『ありがとうがしりたくて』の
今ここを、本当に感慨深く思うわけなのです。
「ありがとう」を知れた時間が 確かに流れたようだね、と。
絵本にも。私にも。