夏休みに思うこと(その2)
August 20,2015
今ね。息子が (『だっこしておんぶして』のあの子ね。もう中3) 夏休みに、プログラミングの学校の講習に 通ってるのね。アプリの開発とか、そういう方面が好きでね。
で、昨日のこと。 「今日はまだやり残しあるから、制作やらなくちゃ」 と、嬉々として講習から帰ってきて、 晩ご飯あとに、課題の制作に 没頭&奮闘しておりました。 ふむふむ。よしよし。がんばれ。 数時間後。 「……え!?…あああああっ!?」 と、突如息子の悲痛な声が!
なんと、それまでの制作の データだか、コードだか、 なにか決定的な源のソースがきれいさっぱり 消えて、全課程が初期段階に 戻ってしまったんだそうです。
(あらー。お母さんね、よくありますけどね。
しかも仕事中にね。あるある。)
とりあえず、 本人が対処する様子を見守っていたところ、 かなりの喪失感と、心の乱れよう。 息子の周辺が 暗黒の闇に包まれている。
「セーブはどこまでしてた?バックアップは?」 「どこかに潜り込んでしまっただけじゃない?検索は?」 「源のソースは学校にあるんじゃない?」 「講師の先生にSNSで連絡とってごらん?」
…なんて、主人も、みるにみかねて声をかける。 「んなことは、全部もちろん試したし!」 「先生にも状況メールして、 呼びかけてるけど返信こないし!」
……あらら。、やれることは全部やったけど、 すでにお手上げ状態だという。
(……それはそれは。本当にお気の毒に…。そういう状態も
お母さんも、ごく稀にある。あるあるー。←なんて軽口はたたけませんでした)
まあ、息子にとっては、 かなり力を注ぎ込んだ過程が あったのでしょうね。 相当な悲しみと怒りとやるせなさにまみれ、 最後にがっくりとうなだれて、ぽつりとこぼしました。
「結局、無になってしまうのなら、なにも創り出さないほうがいい」 息子よ。それは違う。 たくさん違う。
それは絶対に違うと、お母さんの経験から 異を唱えることは 容易いけれど。 それは お母さんの経験から 辿りついた答えだから。 いま、言わない。 この講習が終わったら、 もしくは、いつかの、その時に。 とるにたらないものでも、無から有をつくりだすことに 携わってきた 一人の ごく個人的な 意見として伝えるよ。 今朝、君は「行きたくない。どうせ行ったとこで無駄だ」と 言いながら、講習へ出かけて行った。 あと数時間後、君はどんな顔して帰ってくるだろう。
どんな結末でも。
この夏、たぶん君は きっと何か大切なことを、またひとつ刻むのだろう。