水天宮①の続き。
(長いので興味ない人はスルーで^^)
すっかり綺麗にリニューアルされた
水天宮ですが境内に入ると変わらぬ温かなご神気に
包まれたなら、それはまるでタイムスリップしたかのように。
あの頃の私を思い出しました。
忘れられない、けれど今では、遠い日々となったあの頃。
「おまいり手帳」の絵を依頼される
1年くらい前だったでしょうか。
私は第2子の赤ちゃんを妊娠していたのですが
4か月目の検診の時、お腹の中で赤ちゃんが
亡くなっているのがわかりました。
あと一ヶ月たてば安定期に入り、
長男の時と同じように、嬉々として水天宮の
戌の日の安産祈願に行けるはずだったのに。
私はそれまで一緒にいたお腹の中の赤ちゃんを
体の外に出さねばならず、その為の処置を病院で
受けました。
麻酔から目が覚めると私の中に「命がもういない」という
事実が体感としてありありとわかり‥‥。
それは魂がちぎり取られたような
そんな心も体も痛みを伴う哀しみでした。
数時間休んだ後、帰る時に、新生児室の前を通りました。
そこに並ぶ赤ちゃんを見て、私が瞬間的に思ったのは
自分の赤ちゃんを失った哀しみではなく。
「ああ、生まれてくることは奇跡なのだ」
と、深く深くその時「知った」のでした。
生まれてくるという奇跡。
命とは奇跡なんだ。
私は、それを、知った。
だから、水天宮の安産祈願の手帳の絵を奉納する
お役目をいただいたとき、すんなりとお受けできました。
その大きな大役に、臆することなく。
おこがましいですが
「今の私だから描ける」そんな風に思ったのです.
安定期に入った赤ちゃんとお母さんが
しっかり繋がりますように。
命という奇跡がこの世界に生まれてこれますように。
授かった子に会えないという
私のような哀しみをしませんように。
祈りを込めて。
そして、宮司様たちと共に
祝詞と共に絵を奉納させていただいた時、
わたしの哀しい思いは姿を変えていたことに
気づきました。
人生色んなことありますが、
哀しみは哀しみのままではいられない、何か
変容していく質を持っているような気がします。
それは、誰かを護れる「強さ」に変わりえること。
そんな風に、いまは思うのです。
注:)「おまいり手帳」とは。
かつて妊娠5ヶ月に入った妊婦さんが戌の日に水天宮へ
安産祈願に参拝し祈祷された方に配布されていた
記念手帳です。ちなみに、私のイラストのお参り手帳は
数年間のみで今ではもう配布されていません^^